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2006年 11月 16日
「逃げるな、生きる方が戦いだッ!」とは誰の言葉だったか。
とりあえず、この言葉をまず目に焼き付けてほしい。 【いじめ】 現在子供たちを最も熱中させ、真剣にさせることの出来るゲームの一種。かつての「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」も同種のものであるが、現在では子供たちの向上心によるのであろう、ルールの応用範囲が広がり、鬼となったものを登校拒否に追いやったり、自殺に追い込んだりすることまで、出来るようになった。 【言語】 迫撃砲は、障壁の向う側にいる人間を殺すことは出来ない。しかし毒ガスは、障壁にすき間さえあれば、その向う側にいる人間を殺すことが出来る。そして言語は、すき間など無くとも、音を伝える事ができれば、その向う側にいる人間を殺すことが出来る。 【自殺】 人生におけるさまざまな出来事の、「ちょうどいいタイミング」を自分自身で決めたいと考える人間の「死」である。もちろん、そのタイミングが「ちょうどいい」かどうかは、本人しか知らない。 【人間】 害獣。 出典は別役実の『当世 悪魔の辞典』。 まともな感性、いや、一般的な感性を持ってる人間なら、「何と不謹慎な事を」とでも思うのであろう。 実際、私でもそう思う。 しかし、これを真っ向から客観的に否定できる人間はいるのかといわれたら、少々怪しいのではないだろうか。 いじめという名の、『刑法上の構成要件に該当する違法な行為』(でありながら、責任が阻却されて法的には犯罪者とはならない行為)を楽しんでいる(=ゲーム感覚で行っている)という事実は疑いようが無い。 「いじめはゲームなどではない」と言う向きもあるだろう。しかし、それは主観的判断によるものでしかない。以前にも当ブログで書いたことがあるが、確かに最初には原因と目的があり、その手段として、いじめという名の触法行為がなされたと見ることが出来る(「客観的に見れば」原因は無いと言えたとしても、当事者にとっての「主観的な」原因は厳然として存在するのである)。そしてその行為が過熱するに連れて、手段そのものに対する罪悪感の麻痺、あるいは快楽への転換がなされ、「いじめ」という手段が原因・目的へと転化していく。「いじめ」のプロセスはこういう流れで進んでいく。 また、自分の命を他人に委ねている人間がいるかどうかと言われたら、それも当然Noである。 タイトルにも挙げたが、私は人間の本性は悪であると考えている。 人間なんてのは放置すればその欲望の赴くままに自分勝手に行動する。昨今のDQNを見ていれば、それくらいは分かるのではないかと思うが……。 で、「その本性が悪である以上、後天的な修正によって善に導かなければならない」とするのが性悪説なわけだが、果たして今の日本でそれが出来る者がいるのやら。 最後に1つ言っておく。 「死にたいのなら死ねばいい。だが、死ぬのなら、“あらゆる人間に対して全く影響を及ぼす事の無い死”を選ばなければならない」
by vine-the-silver
| 2006-11-16 21:22
| 爺ネタ(違
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